シュナイダーの塔

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ハンネス・シュナイダー Hannes Schneider (1890-1955)を知ってますか?

僕ら菅平高原のホテルベルニナ最寄りのゲレンデ、シュナイダーゲレンデの名の由来するスキーヤーの名前です。身近なところではゲレンデペアリフトに乗って、降り場が近づいてきた時に左方向の丘の上に三角錐の石碑ケルンが見えます。

ハンネス・シュナイダーの没後にその功績を記念してシュナイダーの塔として建てられました。シーズン中いつも何気なく前を通り過ぎAコースやBコースのオフピステへ滑り込んで行きますが、碑にハメ込んである彼のデスマスクは雪の日でもニッコリ笑っています。

何気にベルニナ本館の1F廊下にも沢山ある展示の中に哀愁感抜群のスキーをしている白黒のワンショット写真が飾られていますから見たことがあるかもしれません。

ハンネス・シュナイダーは1930年3月19日に菅平高原へ今につながるスキー技術を伝えにきました。

彼は1920年に上映の映画「スキーの驚異」に主演で出演しているオーストリア出身のプロスキーヤーです。作中華麗なスキーを披露し世界中を熱狂させました。この映画は当時軍用が中心だったスキーをスポーツとしてとらえ、誰も見たことのない方法(今で言うバックカントリースキー)で雪山を滑り降りることを披露した画期的な映画でした。当然世界中に衝撃が走り、多くのスキーファンを作るきっかけになりました。

そんな有名人が菅平に招かれてきたのですからすごかったことでしょう。当時菅平にもリフトはありましたが根子岳山頂付近までスキーで登り講習参加者と共に滑りました。「菅平高原は日本のシュワルツワルトだ」と自身が子供のころにいっぱいスキーを練習したドイツのスキー場に環境が似ているんだと絶賛したそうです。
菅平高原にとっても今スキーをする私たちにとってもハンネス・シュナイダーがスキーを伝えに来てくれたことは今がある運命的な出来事だと思います。

菅平高原で滑った当時の貴重な映像もあります。道具は違いますが今のスキー技術とほとんど同じ動作をしています。歩くこと、登ること、プルーク、シュテム、パラレル(クリスチャニア)。多分いろんなところを滑って、その状況に必要で適当な動作をカタチづけて展開してくれたんでしょう。

日本から帰国後もサンクトアントンの自身が経営するスキー学校で忙しくレッスンをしていましたが、彼もまた戦争という大きな時代の流れに翻弄されます。

当時オーストリアはドイツ統治下でしたが、人種迫害体制の中で自身のスクールスタッフを平等に扱う行動を曲げずに行ったことでユダヤ人擁護の疑いで逮捕され迫害も受けました。そして国家資格も剥奪されオーストリアでスキーをして生きていくことができなくなってしまいます。

戦争を知らない私にとっては決して理解できないことがあたり前に強制される状況。同じスキーを仕事にしていた人なだけに本当の心情はわからないにしても自分が死んだような状況だったと思う。

そんな状況の中でも、スキーでつながった知人に助けられアメリカに亡命し家族共々生きながらえることができました。そしてその後アメリカのスキー場開発にも尽力し生涯スキー人生を全うしたそうです。本当にすごい人生です。

シュナイダーの塔からの根子岳の景色はいいですよ。シーズン中に一度見に来てください。

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参考:菅平高原観光産業80年史

シュナイダーに興味が出たらシュナイダーゲレンデのHPにわかりやすく載ってます。
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映画紹介
「白銀の乱舞」1931年上映
作中ヒロイン(レニ リ―フェンスタール)のスキーの先生役として実名(ハンネスは芸能名で有名人になりそれが実名になった ・本名はヨハン)で出演しています。熱心に教えてヒロインのスキーがどんどん上達していく雰囲気が見どころのひとつです。レースに出たり狐狩りゲームをしたりスキーの楽しさが伝わってくる作品です。